俺ひとり

独身主義を貫く俺ひとりが日常をハードボイルドに切り開くブログ。

カネは裏切らない

カネは裏切らない。少年時代から、そう信じて生きてきた。歴史を紐解けば、数多くの英雄たちが部下や友人の裏切りによって志半ばで命を断たれている。だから、信じられるのは己れの力量とカネだけなのだと、私は考えてきた。


しかし、カネは裏切らない、という命題は必ずしも正しくない。なぜならカネは、インフレにおいてその価値を著しく損ない、我々を裏切るから。第一次世界大戦後のドイツでは、一般物価水準は2万5千倍となり、パンを買うのに1兆マルクを要したという。こうなると、もはやカネは紙クズ同然で、頼りになるのは武力のみとなるのだろう。


しかし、こうした極端な事例を除いて、カネは裏切らないという命題は、概して正しいと言わざるを得ない。カネさえあれば、食べるものに困らず、常に若い美女を傍らに侍らす事が出来るのだ。食べ物は腐るし、美女はいつまでもその美貌を保つ事は出来ない。しかし、カネは腐る事なく、いつも我々の強力な味方であり続ける。


カネは、一部の守銭奴を除けば、それは使うために存在する。私はいま、会社員として働きながら、その給料のほとんどを株式投資に投じて蓄財に励んでいる。ともすると、蓄財そのものが自己目的化してしまうが、冷静に考えれば俺ひとりが生きていく上で必要最低限な蓄えはすでに築いている。ではなに故に、今なお上司に下げたくもない頭を下げ、貴重な時間を会社に捧げ、守銭奴の如く蓄財に励むのか?なぜなら、一刻も早く1億円の資産を築き、経済的な自由を得るため。そして、美女を愛人とし、ハーレム生活を送るために他ならない。


カネは不思議な存在で、同じ1億円でも、東京と例えば福岡とでは、その実質的な価値は異なる。もっと言えば、タイにおける1億円は、実質的には5億円の意味を持つかもしれない。


野村総合研究所は、富裕層の定義として金融資産1億円以上を持つ世帯としている。いま、JTの配当利回りは5%近い。仮に1億円でJTの株式を買えば、年間500万円の不労所得が得られるのだ。日本人の平均所得は400万円強であるから、富裕層というのは働かずして日本人の平均所得並みの所得を得られる層と言えるだろう。


当然、これだけでは愛人を囲うには充分とは言えない。だがしかし、ここまで来れば、先は見えてくる。俺ひとりは札束で美女のケツをピシピシ叩きながら、高級ホテルの窓際から夜景を見下ろして立ちバックするのが夢である。